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私が「建築」とか「住宅」とかの分野に首を突っ込んだのは1990年頃です。高校物理の教師を辞め、「これから環境に関係する仕事をするぞ」と決めて炭に関わる仕事を始めたのですが、その頃炭は「燃料以外の用途」が注目されていて、建築への利用もそのひとつとしてあったわけです。
当初はとくに床下への利用がおもしろそうだということで、主に床下環境や湿気のことについて勉強していました。そこからカビ、ダニあたりにも勉強することが広がっていきました。また、まだシックハウスという問題が騒がれていなかった頃に、炭についてホルムアルデヒドの吸着試験や調湿試験などもやっていました。振り返ってみると、その頃に取り組んでいたことがその後の仕事に大きく役立ちました。
3年間ほど、いまで言うベンチャー企業みたいなところで炭の仕事をして、1995年に「炭と環境社」という社名をつけて独立しました。
ちょうど独立する頃に、シックハウス問題が大きくなってきました。当初の関わりかたは「炭屋」「床下屋」という立場だったのですが、理科がそこそこ得意だったこともあって、まわりの人にシックハウス問題を理科的に解説するような立場になっていきました。その活動が少しずつ認められ、地元関西だけでなく、いろんなところに講演に出かけるようになったり、専門誌に原稿を書くようになりました。
一方、いろんなおもしろい人や企業と出会う中で、「一緒にこの商品を普及させようよ」「これ扱ってみない?」という話が出てきて、炭だけでなく、いろんな建材を扱うようになっていきました。
シックハウス問題については、2000年頃に自分の中で一応の決着が着いたこともあり(ある意味自分の役割は終わったと考えた)、自分にとってのライフワークである「環境にやさしい住まい/暮らしを広げていく」という、もう少し広い範囲のことに活動をシフトしていきました。
具体的には「省エネになる住まいはどうすれば実現できる?」「日本の木を使っていくためにはどうすればいい?」「住まいを長持ちさせるにはどうすればいい?」、そして「環境にやさしい家づくりを行っているところにたくさん家を建ててもらうには?」というようなテーマです。
さてそうなると、いよいよ「炭と環境社」という社名に違和感が出てきて、社名を変えることにしたのが2003年です。会社的に動いているというよりも野池個人として動いているもののほうが多いので、シンプルに「野池商店」にしようとか、ちょっとかっこよく「住まいと環境研究所」はどうだろう?なんて思ったのですが、「商店」だとモノ売りだけをやっているみたいだし、「研究所」という名前でモノを売るというのも変だし、ということで、いまの「住まいと環境社」に落ち着きました。
2005年には「自立循環型住宅」が登場し、それがとてもおもしろいので強く取り組むようになりました。IBECから講習会の講師に認めてもらい、また2007年4月には「自立循環型住宅研究会」を発足させました。会員数も増え、その活動内容も非常にレベルの高いものになっています。
自立循環型住宅に取り組む中で、「これからはパッシブデザインだ」という“結論”を出し、2010年の元旦にこのサイトで「パッシブデザイン普及元年宣言」をしました。
また、パッシブデザインと並行して「暮らし向上型リフォーム=本質改善型リフォーム」を追求しようと考え、その研究会を2010年の3月に立ち上げました。
本質改善型リフォームの普及が私の最後の仕事になると思っていたのですが、2011年3月にあの東日本大震災と福島原発事故が起き、「もっとギアを上げて省エネを進めていかないといけない」と考え、「Forward to 1985 energy life」という運動を立ち上げ、全国の人たちに参加を呼びかけました。ある意味マイペースで「パッシブデザインを軸とした省エネ住宅と本質改善型リフォームの普及を進めて仕事人生をまっとうしよう」と考えていたのですが、Forward to 1985 energy lifeを立ち上げたことで大きく人生が変わることになったわけです。
そうやってForward to 1985 energy lifeを広めていく中で、すでに動き始めていたパッシブデザイン協議会のお手伝いをすることになり、一般社団法人化するタイミングで代表理事になりました。そしてみなさんご存知の通り、パッシブデザインは加速度的に注目度が増しています。
パッシブデザインが注目され、パッシブデザインに本気で取り組む人や会社が増えたのは本当に喜ばしいことです。しかし、それは省エネ住宅の重要なベースになるという位置づけであり、私がやりたいのは「パッシブデザインを軸にした省エネ住宅の普及」です。今後は「パッシブ&エネルギーデザイン」という考え方が広がることに強く期待しています。
今年の4月で60歳になります。本当に私の最後にやるべき仕事は、私がやってきたことをうまく次世代に伝えることだと思っています。今後はそれに邁進します。
2020年2月 記